カヤック班

2012.6.3〜6 礼文エクスペディション

天気
6/3曇り南西の強風 6/4晴れ南西の強風 6/5曇り南西の強風 6/6曇り南東の強風
参加者
佐々木、田島、石田
行動記録
6/3 8:00船泊大沢川河口〜9:00スコトン岬〜11:00ゴロタ岬
6/4 終日停滞
6/5 終日停滞
6/6 5:30ゴロタ岬〜6:30西上泊〜8:00召国付近9:00〜11:30西上泊

風の島礼文島   たじごん(文・写真)

羅臼の石田さんと佐々木さんが三年前から計画していた、礼文島を漕ぐ計画に参加した。
予定では北端の船泊湾から南端の知床まで3泊キャンプで西海岸を漕ぐ。
石田さんは登山計画と同じように計画書を作成し、関係各所に届出を出していた。

石田さんには2004年に私が知床半島を一周したとき以来、羅臼を訪れるたびに世話になっている。
そのときからいつか一緒に漕ごうと話していた。登山ガイドをする彼は長期連休で訪れる私とは日程が合わない。
今回、私の目的は石田さんと漕ぐことだった。

佐々木さんにはお目にかかるのは初めてだが、登山とカヤックのガイドをされていて経験豊富な方だった。
冬にはスキーお散歩会という同好会を率いておられる。
過去の話を聞くと、会の名前に似合わない過激さが各所に見られる。
もっと格調高いクラブ名でも良いのではと思うが、話しを聞くとバックカントリー=裏山の散歩ということだった。
最近、お散歩会カヤック班が出来た話を聞いた時、今回の遠征の報告書作成を勧められた。
お散歩会の報告書を書くのは光栄なことだ。


2012年6月3日。私たちは船泊からカヤックで漕ぎ出した。
石田さんは行動中、どこの浜に上がるかわからないと言って4リットルの水タンク3本をカヤックに積んでいた。
単独行がメインの私には考えられない量だ。
彼のカヤックは容量が大きく、荷物を沢山つまないと安定しない。
大量の水タンクは理にかなっていたが、後でそれが役に立つとは思いもしなかった。
私の艇は寝具と着替えなどの個人装備と水2リットルしか載せていない。力なしの腰痛持ちである私にはありがたいが、共同装備を二人に持ってもらうことは申し訳なかった。

静かな船泊湾をトド島を眺めながらスコトン岬に向かって漕いだ
岬の先は夜半から吹いている南西の風による影響が懸念されていた。
出発してすぐにアザラシの歓迎を受けた。初めてアザラシを見た私は感動し、陽気になった。
岬が近づいてきた。サメの卵のような形の礼文島は北端のスコトン岬、金田ノ岬ともに鋭く尖った地形をしている。
岬をかわすと向かい風が強くなり、海況は劇的な変化を見せた。
三人はケープ・スコトナーになった。

漕ぎ進む海は尖り気味のうねりが風とともに向かってくる。
私にとってはなかなかの荒れ様だった。時には横から来る波にパドルを突き刺しながら漕ぐ。
私は石田さんと佐々木さんに気を配りながら漕いだ。
佐々木さんのカヤックは内地ではプロガイドが乗るような細身の艇だ。私にはとても乗れない。荷物を積んで安定性は増していると思うが、それでも無理だ。
そんなカヤックで荒れた海を漕ぐ佐々木さんは飄々と漕いでいる。スピードはないがバランス感覚は凄い。知床で漕いできた人の実力に感嘆するばかりだ。

石田さんは歯をむき出しにして食いしばり、まるで骸骨のような顔をしながら漕いでいる。真剣になるとそういう顔になるらしい。パドリングは完全に腕漕ぎだ。向かい風の中長時間は持たない。
海岸は柱状節理の景観があり、その沖を進んだ。
時折、高々と私を持ち上げるうねりが過ぎ、次に横を漕ぐ石田さんがそのうねりに完全に隠れる。うねりが去ったあとに転覆していないかと私は不安だった。
あとで話を聞くともっとすごい波の中を漕いだこともあるらしい。羅臼のカヤッカーは皆、凄い。小手先の技術でなく実戦的な力量がある。

私も長時間は漕げない。ゴロタ岬の手前の浜に上陸して休憩することになった。
風裏の岩場に寄るが強風が巻いて吹きつけてくる。寒い。石田さんが岬の向こうを偵察してきたがとても進める海ではないと告げてきた。緊急避難として焚き火をし、今日はここに泊まる事になった。

テントは背の高い夏用テントだ。強風で飛ばされないよう張り綱を頑丈に張った。
焚き火の煙を浴びながら天気図を取るが強風になる気圧配置ではない。寒気の影響だろうか。
佐々木さんは焚き火の番をし、石田さんは飯の支度をした。私は岬の草付きの山に二度アタックをかけ、二度とも失敗した。
石田さんはこのような状況でも立派な料理をつくる。コメも炊く。コメは海水で研いでから炊くと美味いことを知った。
酒を飲み、明日の天気に期待しながら早々に眠った。



行動二日目、昨日よりさらに強く風は吹き続けた。
鮑古丹の湾は旋風が吹き荒れ、海水を浜に吹きつけていた。
潰れ気味のテントは張り綱をかけ直し、早々に停滞決定となった。水の節約のために朝からビールで乾杯する。
天気図を取るが、気圧配置は変化しそうにない。本州には高気圧が発生し、サハリンや大陸には帯状の低気圧がある。
稚内の風速だけ強いのには参った。
山の中腹でも携帯電話の電波が入る。皆、電話を掛けたりして過ごした。
陽は出ている。しかし海水の水しぶきは冷たい。
夕方に取った天気図は悲観的だ。大きな変化は見られない。
最悪は歩いて帰る話もした。こういう時、登山家は頼もしい。しかし、私は漕いだほうが確実だった。
食事は二食となり、夕飯は鹿肉のカレーだ。このような状況でも平然と料理をする神経は大したものと思う。
石田さんの作るメシは美味い。
酒を飲み、明日の天気に淡い期待を寄せながら早々に眠った。
時々起きて、石田さんと話した。


行動三日目、絶望的な海が目の前にあった。
風は更に強くなり、波しぶきはとてつもない高さまで舞い上がり、テントに直に吹き付ける。浜に上がる波も大きくなってきた。
浜を歩くと風に煽られてまともに歩けない。今日も漕げない。
テントは破れてフライシートがまくれ上がり、ばたつく音がすごい。ポールが折れたので流木で補強した。
テントは全体に潰れてもはや山岳テントに進化していた。
焚き火も出来ないほど浜は海水でびしょ濡れだ。触る物がみな、ヌルヌルと滑る。
石田さんが連絡のために山に登る。私もついて上がる。登頂すると向こうには吠えるように荒れる海があった。
やりたくはなかったが、携帯電話の有料天気情報を見て明日の澄海岬の情報を調べると、風はやっと東向きに変わるようだ。
私のファルトボートは風でひっくり返ったのでコクピットに石を沢山入れて固定した。
佐々木さんが艇を浜の上方に引き上げようとした時、私は余計な手出しをして指を負傷させてしまった。申し訳なかった。
石田さんは鮑古丹方面の切り立った磯を歩いて偵察してきた。チームのために色々と仕事をする姿には頭が下がる。彼には普通のことかも知れないが、それは私にとって学ぶべき姿勢だ。
三人は漁師ガッパを着たままテントに身を隠し、脱出案の検討をした。翌日、艇を残したまま二人は鮑古丹方面の磯を歩いて脱出し、私は自艇で脱出してあとで石田さんと艇を回収することに決まった。
食事は私の持参した真空パックのシュウマイだ。ストーブで炊いた飯を蒸らすため佐々木さんは寝袋でくるんで卵を温めるように抱いた。岬の山頂で卵を抱くウミウが頭をよぎった。
夜、眠っている石田さんの目尻には塩の結晶が光っていた。



行動四日目、朝三時に起きる。とうとう風が止んだ。風は川ではなかった。
ウサギだらけの海は静まり、私たちは落ち着きと元気さを取り戻した。
東風は西海岸では風裏になる。漕ぎだして南下し、元地まで漕いで撤収することになった。
水はまだある。取り戻した余裕の中ラーメンを食べて出発した。
とうとうゴロタ岬をかわした。苦労しただけに嬉しかった。
三人はケープ・ゴロターになった

風は弱まったがうねりの残る海を進んだ。
鉄府を過ぎると澄海岬だ。時間が早くて観光客はいない。手前の島にある鳥居はペキンの鼻を連想させた。
さらに進むと召国の海岸がある。初日のキャンプ予定地だった。石田さんが以前礼文島に住んだときに思い入れのある場所らしい。このころから陸側の風が強くなってきた。岸際を漕ぐことを意識しながら進んだ。
やがて召国ノ岬を越えた。
三人はケープ・メシクナーになった

陸風が強くなり、石田さんと佐々木さんは沖に流されそうになった。石田さんの艇はペダルに足を踏ん張ったためラダーワイヤーが切れた。人間の全脚力を受け止めるのにラダーワイヤーは細すぎる。しかし、体の使い方は正しい。
岸に上がって佐々木さんの補修具で応急処置する。陸からの風はさらに強くなった。風裏だが礼文島の低い台地からは岸際にも強風が吹き降ろしてくる。
風裏の礼文島西海岸に安全地帯は無い。

これ以上の前進を断念し、西上泊の港で緊急撤収することに決まった。
戻る時もペキン出しのような収斂した出し風に悩まされた。途中の浜でロープを私の艇と佐々木さんのバウラインにつなぎ、私にカヤックを引かせて鍛えてくださいと頼んだ。慣れないことをして佐々木さんのパドルを壊してしまう。石田さんのスペアパドルを借りた。スペアパドルは必要なときに初めて役に立つ。

西上泊直前の海は不思議と静かだった。石田さんが先に港に上がり漁師に緊急上陸の話をしに行った。
三人は艇を浜に引き上げ、野菜ジュースで祝杯を挙げた。私は二人にお礼を言った。
車の回送のためにハイヤータクシーを呼ぶと、スーツに帽子姿の正装したドライバーが運転するタクシーがやってきて、潮まみれの石田さんを乗せて行った。
ファルトボートは乾かないまま畳んだ。装備の潮抜きは後だ。
旅は終わった。



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